七夕まつりの歴史

平塚の七夕まつりは、第二次世界大戦の戦災復興から始まりました。

 

1945年(昭和20年)7月16日に起きた空襲により、当時の平塚市域の約70%は焦土と化しました。

平塚市は「復興5ヶ年計画」を立てて復興を進めましたが、復興の目途がついた1950年(昭和25年)、商工会議所によって「復興まつり」が開催されました。

7月5日~7月7日の3日間です。

 

このまつりが予想以上の盛況で、翌年も行って欲しいといった要望が出ました。

そこで、仙台を参考に、「七夕まつり」として開催されるようになりました。

 

第1回は、1951年(昭和26年)7月4日~7月8日の開催でした。

1957年(昭和32年)には、平塚市に主催が移管されました。

 

日本の経済成長と歩みを合わせるようにまつりは拡大し、1970年(昭和45年)頃からは5日開催で300万人を超える人出を記録しました。

「湘南ひらつか七夕まつり」に名称が変わった1993年(平成5年)には、史上最高の361万人の人出がありました。

 

しかし、バブル崩壊の頃から、日本社会と同様に陰りが見られるようになりました。

2006年(平成18年)には開催日数が4日になり、東日本大震災が発生した2011年(平成23年)からは3日に減りました。

 

開催日数の減少に合わせて、人出は3日間で100万人台半ば程度となりました。

2020年(令和2年)と2021年(令和3年)は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、通常開催は見送られました。

 

2022年(令和4年)は、新型コロナウイルス感染症の影響が残る中、多くの制約がありながらも3年ぶりに開催されました。

70回目の節目となる七夕まつりでした。

 

第1回開催から70年以上経ち、社会環境は大きく変化しました。

平塚の七夕まつりも、様々な問題を抱えています。

それでも、日本三大七夕まつりの1つにも挙げられる存在として、今も続いています。

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